2023年大河ドラマ【どうする家康】いつから放送!あらすじは?

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徳川家康の生涯を描くNHK大河ドラマ「どうする家康」の放送が、2,023年(令和5年新春)1月8日 第62作    (日曜日20:00~20:45) 放送時間45分

BS4kBSp午後6時

放送回数は 全47回   最終回 2023年12月17日

室町時代後期から江戸時代を舞台に徳川家康を描く。

脚本 古沢良太   主演 松本潤

演出 村橋直樹  川上剛  小野見知

音楽 稲本響

制作統括 磯智明 村山俊平

演出統括 加藤拓

ナレーター  寺島しのぶ

音楽  稲本

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2023年大河ドラマ「どうする家康」1月8日放送開始!

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」!の徳川家康の生涯を、現在最も期待の脚本家 古沢良太氏が新たな視点で描くNHK大河ドラマ。
収録は若き松平元康が仕えていた今川義元が、桶狭間で討たれ織田家と今川家のどちらに付くべきか揺れ動く。元康は織田軍に包囲され、駿河に戻るべきか?故郷の三河へ進むか?それとも籠城か?

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2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」あらすじ!

激しい領土争いで戦っていた戦国時代。

貧しい三河の国、岡崎城主.松平広忠の子として誕生した松平元康、後の徳川家康は乱世で父親を失い母親とも離れ、駿河の大国、今川義元のもとで人質として生活していた。

人質ながらも楽しく生活していた松平元康、のちの徳川家康(松本潤)は、今川義元に見込まれて不自由ない生活を保証され教育も十分に受けられた。

やがて今川家、重臣の関口氏純の娘.瀬名に恋愛感情が芽生える。幸せな日が続くと思っていた。

元康の側近の石川数正、鳥居元忠たちは元康の事を快く思っていない。
ある日父の墓参りに三河.岡崎を訪れた元康は、父に仕えていた酒井忠次などの旧家臣たちと再開。
彼らが今川家に不満を持ち、松平家再興の思いがある事実を知る。

しかし、元康はその事を重荷に感じている。

1,560年(永禄3年)、今川義元は織田領土である尾張へ進撃する。

元康は織田軍の攻撃を受ける大高城に兵糧を送り込む任務についた。敵方の攻撃をくぐり抜け命がけて任務を果たした。しかし、喜んだのもつかの間、桶狭間の戦いで義元が討たれた知らせが届けられた。

大高城に押し寄せるのはあの織田信長。

幼い頃、織田信長と過ごした時の忌まわしい記憶が脳裏に焼き付いている。

織田軍に包囲される中、家族の待つ駿河へ戻るか、故郷の三河へ進むか、それとも要塞に籠もるか?

桶狭間の戦いの混乱の中、松平元康(後の徳川家康)は家臣達とともに三河の城を取り戻す事に成功。

しかし、それは苦労とピンチの始まりでもあった。領民の一向一揆に悩み、戦国最強の武将.武田信玄の脅威にさらされ、1578年の三方が原之戦いでは徳川軍は惨敗。

さらに武田信玄は家臣団や家族の関係までも切り崩そうとする。

己の弱さに歯がゆさを感じながらも、敗戦を飛躍のチャンスと捉え個性豊かな家臣達とともに絆を深め強力な徳川を作り上げる。

ところが、本能寺の変で目標であった信長を失い窮地に追い込まれる。

人心掌握に秀でた豊臣秀吉精緻な頭脳を持つ天才石田三成が立ち塞がり、真田昌幸をはじめ周辺の大名達が足元を揺さぶる果たして戦乱の世は終わりこの国に平和な未来が訪れるのか。

その後どうする元康?
徳川家康の生涯は、三河武士が天下統一を成し遂げた天才で完璧なサクセスストーリーと誤認識されることが多いが、才能豊かで完璧な人間ではない。さまざまな局面を家臣と共に打開していった。

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徳川家康の生涯!

1542年  1歳 松平広忠の嫡男として岡崎城で誕生 (幼名 竹千代)

1547年  6歳 織田家の人質となり、尾張(熱田)の豪族加藤家に幽閉

1549年  8歳 今川義元の人質となり駿府へ移る

1557年  16歳 今川義元の姪、瀬名(築山殿)と結婚

1560年  19歳 桶狭間の戦いで今川軍の先鋒として出陣。戦後岡崎城に戻る

1562年  21歳 織田信長と同盟を結ぶ

1566年  25歳 徳川家康に改名

1572年  31歳 三方が原の戦で武田信玄に惨敗

1575年  34歳 長篠の戦いで織田.徳川軍が武田勝頼に大勝

1582年  41歳 本能寺の変で岡崎城に帰還(伊賀越)

1584年  43歳 小牧.長久手の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)と対立

1600年  59歳 関ケ原の戦いで石田三成ら西軍に勝利

1603年  62歳 征夷大将軍となり、江戸幕府を開く

1610年  69歳 名古屋城 築城

1616年  75歳 4月17日駿府城で死去

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大河ドラマで話題!徳川家康ゆかりのまち 名古屋 ゆかりの地!

1,610年徳川家康により築かれた名古屋城。当時地域の中心であった清洲城を廃止、まちの全てを移転。
これが「清洲越」で名古屋の街が作られました。名古屋には「家康ゆかりの地」が数多くあります。

大高城跡(緑区)

若き家康(松平元康)が、今川軍の食料を届ける兵糧入れを成功され大手柄を立てた場所。

桶狭間古戦場公園(緑区)

桶狭間の戦いをより深く知ることができる公園で、ガイドツアーもあります。
今川義元の討ち死にを知り元康(後の徳川家康)は、これからどうすべきか行く末を案じた事でしょう。

万松寺 ばんしょうじ(中区)

熱田の加藤家から移された竹千代が暮らし織田信長と対面した場所。

織田信秀が織田家の菩提寺として建立。

小幡城跡(守山区)

秀吉軍の有力武将を討ち取った長久手の戦いの後、家康が滞在し秀吉と対峙した場所。

名古屋城と本丸御殿(中区)

家康が関ケ原の戦い(1,600年)慶長5年に現在の岐阜県不破郡関ケ原町で「徳川家康」の東軍と「石田三成」「毛利輝元」の西軍があらそった。
「徳川家康」が勝利して、重要拠点として築いた名古屋城、家康の九男の義直が初代尾張徳川家当主となり入城、長年栄ました。


家康の姿は現在我々が置かれた状況を生きる生き方に共感できるヒーローで、今回の「どうする家康」は、過去の家康の大河ドラマで描かれなかった家康が描かれる大河ドラマ。
一人の弱い少年が戦国の乱世に幕を下ろした奇跡と希望の物語。
1月8日から始まる大河ドラマ[どうする家康」!  乞うご期待 !!

最後まで読んでいただいてありがとうごさいました。

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