縄文時代は米作りが始まる前は、森の恵みの物で生活していました。
春の新芽の時期は山菜、秋は木の実やきのこ、森にいる鹿や猪、野ウサギなどの動物を捕まえる狩りをしていました。
狩りのために犬を大切に飼っていました。
米作りは弥生時代と言われていましたが、既に縄文時代に米作りはありました。
農耕というほど本格的ではなく経済や食生活に影響を与える事はありませんでした。
この記事では縄文時代の暮らしについて紹介します。
縄文時代の人はどんな暮らしをしていたのか!主食は?
縄文時代の食事というと狩猟時代のイメージで狩りで(けもの)が主なイメージがありますが、実際には、植物質の食べ物の比率が高かったと考えられています。
中でも秋に取れる木の実類は主食と言えるほど貴重なものです。
縄文時代の人はどんな暮らしをしていたのか!貧富の差はなかったのか?
自然に畏敬の念を持っていたのは、自然を頼りに生活していたので自然に対して謙虚であり不要な争いは避けたいました。
縄文時代は食べ物を協力して得て、取ったものや育てた物は助け合いの精神で身分や貧富の差はなく、弱いものは、模合の精神で持ちつ持たれつの生活で村の中で平等に分け合っていました。
米作りが農耕と言うほど経済や食生活に影響を与えるほどではなく、栽培という程度で多種多様な食べ物の一つにすぎなかった。「2005.2.18 共同通信」引用
縄文時代は自然の野山で採取した木の実で春は桑の実、野いちご、春の山菜のクズ、わらび、ぜんまい、つくし、秋は、あけび、山ぶどう、どんぐり、栗、くるみ、山菜のクズ、わらび、ひょうたん、山芋、山ぶどう、海のはまぐり、あさり、まてがい、まがき。
魚類 さけ、ます、まぐろ、ぼら、たい、すずき、はも、など。
鳥類 鴨、雉(きじ)
野獣 いのしし、しか、のうさぎ、たぬき。
過去の歴史では米作りは弥生時代になってからはじまったと考えられていましたが、1978ねんに福岡の板付遺跡から縄文時代の水田跡が発見されたこと。
近畿地方、中国地方で水田後が発見されこの時代には、米を食べていたことが判りました。
それに、食料がなくなった時のために保存する方法も工夫していました。
三食が定着したのは、江戸時代になってからでそれまでは1日2回が一般的でした。
縄文時代の人はどんな暮らしをしていたのか!調味料と調理法は?
縄文時代から日本には醬(ひしお)というものがあり、それが現代の味噌と醤油のルーツで日本人の味覚を伝えるもとになっています。
人々は食物を塩につけて保存するうちに発酵、熟成する事で旨味を持つことを体験して知りました。
食物の調理法はどんぐりや栃の実を土器の中で熱湯で煮てアク抜きをして食べました。
長野県の遺跡から炭化したパン状のものやクッキー状の物が出土しており、成分の分析結果から木の実、動物の肉、鳥の卵などを混ぜて作ったことが判ります。
縄文時代の人はどんな暮らしをしていたのか!平均寿命は?
縄文時代の平均寿命は男性31.1歳 女性31.3歳
当時は生きていくのに厳しい時代で、15歳未満の埋葬人口が含まれてないために更に短くなります。
縄文時代の人はどんな暮らしをしていたのか!身長は?
縄文時代の平均身長は、男性158cm/女性149cmその後の弥生時代から古墳時代になると男性163cm/女性152cmと伸びますが、江戸時代の男性は155cm/女性143cmと一番低いです。
狩猟を主としていた縄文人は動物性タンパク質の量が多かった結果です。
参考までに2012年の20代男性の平均身長は171cm、女性158cmで1950年の平均身長が161cmと150cmでわずか60年で身長もだいぶ伸びています。
これは食の欧米化に起因してタンパク質を多く食に取りいれている証拠と言えます。
縄文時代の人はどんな暮らしをしていたのか!死亡率は?
15歳以上の縄文人は20代後半で多く死亡して、30代後半と20代前半が60%以上の人が死んでいます。現代と比較すると短命です。
縄文時代は乳幼児の死亡率の高さと狩猟採集生活で、現代の発展途上国でも若い年齢での結婚と出産それに伴って起こる初産での損傷立の高さ、出産場所の不衛生、栄養不足離乳食の質も考えられる。
飽食時代を生きる現代人からは想像できないような時代を生きていた縄文人は自然を頼りにして生活していただけに、自然に対して謙虚であったのでしょうね。
まとめ
縄文時代の食事というと狩猟時代のイメージで狩りで(けもの)が主なイメージがありますが、植物質の食べ物の比率が高かった。
縄文時代の平均身長は、男性158cm/女性149cm
縄文時代の平均寿命は男性31.1歳 女性31.3歳
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