平城京(奈良)⇒長岡京(京都市西京区)⇒天智天皇の家系、桓武天皇が現在の京都、平安京に遷都してから、鎌倉幕府誕生までの390年間の「平安時代」。
平安時代の貴族の食事は米飯で、主菜と副菜とデザートもついていて一般庶民と比較するとその当時は恵まれた食事ですね。
白米の流通は限らていたはず。
しかし、貴族となると白米を主食にしていたようですね。
白米と言っても現在の白米とは違う強飯(こわい)というもので硬めのご飯です。
副菜は野菜(ごぼうや蕗(ふき)、大根、なす、せり(田んぼの畦道ないまでもあります)ネギ、ウリ)、などと、蓮根(はすの根っこ)は仏教と共に伝わっていた。それと里芋は弥生時代の稲作以前から食べられていましたが、当然平安時代にも食膳にありました。
遣唐使によって伝わった麦を加工した麺類(現在のうどん)も食べられていました。
京都は海が遠いことで、川で取れる淡水魚を、保存食として干物や塩漬け加工されたものを食べていました。
淡水魚のアユ、鮒、鯉。
それと肉類はヤマドリ(雉⇒(きじ)山鳩、雀、いのしし、など。
平安時代中期になると仏教の影響で肉食を禁じられた時期もありました。
デザートは
平安時代にもデザートの習慣はあって、果実類やナツメなどの木菓子、もち米をこねて焼いた現在の煎餅などもたべられていました。
律令の施行細則延喜格 ウィキペディア引用
調味料は
基本的には現在と変わらない「酒」、「酢)、「塩」、
「醤」(麹と食塩を利用した発酵調味料)ウィキペディア引用
の4種類で酒や醤は身分の高い人だけの調味料。
身分の低い人は、酢と塩だけ。
主菜、副菜、デザート貴族の食事は現代並みですね。
現代と比べると限られた種類ですが、恵まれた食事を楽しんでいたのですね。
平安時代の貴族の食事は!どんな食事?食事の回数は?
食事の回数は一日3回です。
貴族は宴や饗応(酒や食事の接待)で頻繁に客を招いたいました。
現在は仏膳に箸を立ててご飯を高く盛りつけていますが、現在のように飽食時代ではないためにたくさん食べてもらうことが、最大のもてなしでした。
そのためにご飯は、高く盛り付ける高盛が、お客をもてなすための作法でした。
高盛とは、現在の御仏前に供える時のご飯を盛り付ける方法です。
主菜は白米と言っても、硬めのこわいと呼ばれるご飯です。
副菜は、野菜(ごぼうや蕗(ふき)、大根、なす、せり(田んぼの畦道ないまでもあります)ネギ、ウリ)、蓮根(はすの根っこ)、筍、蓮の実、栗、それと里芋など。
デザートは果実類やナツメなどの木菓子、もち米をこねて焼いた現在の煎餅などもたべられていました。
酪とは牛乳を濃縮して粥にした食品を酪といいます。
その酪(らく)をさらに濃縮して出来たチーズなどもデザートにしていました。
それと清少納言⇒平安時代の才媛 春はあけぼの、、、で始まる随筆「枕草子」の42段の「あてなるもの、、、削り氷にあまずら、新しきかなまりに入れたる。」
「かなまり」金属製のお椀。「あまずら」は蔦(つた)の樹液を煮詰めたハチミツと似た平安時代の甘味料です。
貴族はかき氷も食べていたのですね?
当時としては超贅沢なデザートですよね?
真夏の暑い時に、甘いかき氷に心ときめかせた清少納言、千年の時を経た現在でもかわらないですね。
貴族の私有地で荘園が始まって馬や牛を放牧
牛や馬の酪農が始まり牛乳や牛乳を濃縮した酪、酪とは牛乳を濃縮して粥にした食品で、酪(らく)をさらに濃縮して出来たチーズ。
デザートとして食べていました。
貴族はかき氷も食べていたのですね?
平安時代のかき氷の材料は
平安時代の氷は現在のように製氷機はありませんので、天然の氷。冬の間に出来た氷の塊を山の洞窟や穴を掘ってワラビやすすきの穂を敷き詰めて置きその上から草を覆って、保存しました。
平安時代は宮内省の飲料水や醤、氷室などを役人が管理していました。
因みに製氷所の誕生は明治時代です。
平安時代の庶民の食事は!どんな食事?一日何回?
農作物は天候に左右され生産量も限られていた事から食膳に白米が上がることはありませんでした。
1000年以上前の事ですので当然です。
雑穀が主食で麦、粟、黍(きび)など。
現在は飽食時代になって米余りで、減反政策をしていますが、私達が小さな頃半世紀前までは、白米は稀で、必ず麦や粟ごはんでした。
ですので、気の遠くなるように遠い過去の1000年前は雑穀を食べていたことは納得ですよね。
食事の回数は基本的に一日2回ですが、下級官史早朝からする仕事や、肉体労働者は昼間に「硯水」という間食をしていました。
お米粥と汁物と野菜の和え物の一汁三菜で、ネギ、ゴボウ、蕗(ふき)、茄子(なす)、芹(せり)の粕漬け、酢漬け、遣唐使によって麺類が伝わって麦を加工したうどんのような食品が食べられていました。
貴族と違ってデザートは特別にありません。
平安時代の貴族の生活習慣病は?
平安時代の一般庶民の食事は一日2回で、しかも体力をつかいます。
貴族の食事は一日3回で、味付けも個人の好みによって偏食傾向にありました。
識字率も上がり文学、歴史書、絵巻物に病気の事などが、書物から判るようになりました。
貴族はあまり、身体を動かすことがなく塩分高めな食事糖度の高い酒の影響で「糖尿病」などの生活習慣病になりやすかった。
庶民のように飢えに苦しむことがない代わりに、贅沢三昧の偏食傾向、身体を動かさないため、病気になるのは当然ですよね。
ほどほどのカロリーとバランスのとれた食事、身体を動かす運動は1000年の時を経た現代でも大切なことですね。
まとめ
貴族は一日3回の食事でしかもデザート付き。
主食は白米に変わりはありませんが、強食(こわい)という硬めのごはんです。
塩分、糖度の高い食事で偏食傾向
身体を動かす機会がないため「脚気」や「糖尿病」にかかりやすい。
一般庶民は一日2回の食事。特にデザートなし。
肉体労働や身体を動かすから「脚気」や「糖尿病」にかからない。
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