自分の意志表示を相手に伝えるために、文字は大切な役割を担っています。
しかし、この文字がひらがなだけでは、読みづらいと思いませんか?
漢字とひらがなとカタカナでうまく相手に伝える事ができます。
漢字だけの表記では、伝わりにくくなってしまいます。
その文章によって漢字と、ひらがなと、カタカナの表記を前後の文面から、その単語が漢字か、ひらがなか、カタカナのどの文字で表記したほうが、読み手に良く伝わるのか、考えながら書く必要があります。
そのために漢字とひらがなとカタカナでうまく伝える事ができます。
文字の始まりの起源と歴史について!
もともと漢字は六朝時代(222年〜589年)の王羲之の漢字が基になっています。
書を学ぶ者が皆、通るのがこの王羲之です。
芸術を確立させた事で、書聖と称されました。最も優れているのは行書で書かれた「蘭亭序」という作品です。
王羲之が書いた物は書の最高峰と言われますが、その書風の特徴はありません。
強いて揚げるならバランスの良い普通の字、特徴が無い事が特徴です。
王羲之が書いた物が、現代の漢字の基本であり美しさです。それ程王羲之は書道界に大きな影響を与えています。
楷書(楽毅論)がっきろん
行書(蘭亭序)らんていじよ
草書(十七帖)じゅうしちじょう
その後唐の三大家は(618年〜712年)3人の書家の総称。2代目皇帝の大宗は書への関心が高く、王羲之の書を愛好し中でも、欧陽詢(557年〜641年)、虞世南(558年〜638年)、褚遂良(596年〜658年)この3人が楷書を完成させて、篆書、隷書、楷書、行書、草書の5の書の全体を完成させました。
王羲之に異論を唱えたのが顔真卿です!
王羲之に異論を唱えたのが、顔真卿(766年〜835年)王羲之の書が均整で上品に書くのに対し、顔真卿は太く強く書く筆の穂を書かれた線の中に隠す(蔵鋒)と言う技法を確立しました。
現代もこの蔵鋒で書きます。
書き方は筆を紙面に付ける時に、筆の穂先を紙面に垂直に付けるので筆の先の鋭く尖った先が見えない事です。
筆の穂先が見えてしまう書き方を露鋒と言います。
王羲之と並ぶ書の第1人者と言われています。行書の「祭姪文稿」 楷書の「多宝塔碑」は顔真卿のものです。
顔真卿の影響を受けたのが日本の弘法大師(空海)です!
顔真卿の影響を受けたのが、日本の弘法大師(空海)です。
今日の明朝体と言う活字は、顔真卿の書風を基に作られた物です。
空海は真言宗の開祖で、遣唐使として804年唐へ渡り、嵯峨天皇に起用され真言宗を確立しました。
空海、嵯峨天皇、橘逸勢を日本三筆と言います。
ひらがなは漢字が変化した物です。
唐の時代の漢字が、平安時代に貴族は文化の世界にも影響を与え、日本の風土や生活に合った文化を生み出し、これを国風文化と呼び摂関政治の頃(858年~887年)最も栄えました。
漢字を変形させた仮名文字が創られてそれを用いて「古今和歌集」など優れた文学作品が生まれました。
紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」など女性も優れた文学作品を世に送り出しました。
漢字から万葉がなにより早く書き易く出来た字がひらがなです!
漢字から万葉がなに、より早く、書き易く、出来たものがひらがなです。
先人の英知の結晶が、長い歳月を経て、今日の書道と言う文化に、息づいていると思っています。
現在グローバル化して、諸外国の人が日本に滞在して、一番困惑するのが文章を書く時に、漢字、カタカナ、ひらがな、表記する時に、どの文字で表記すべきか迷うようです。
漢字は堅くて真面目な印象で、読み手に誠実さが伝わり「信頼感」を与えるます。
誰でも知っている単語は、漢字で表記したほうが、好印象を与えます。
漢字が多過ぎると読む気が起きない!
漢字が多過ぎると読む気が起きない。知的で誠実なイメージがあるのと同様「とっつきにくさも」兼ね備えています。
ですので、誰でも理解できる単語は、漢字で表記したほうが良いでしょう。
ひらがなは、読み易く親しみやすいので、情報を与える側と受け取る側の距離感を縮めます。
読む人が身構える事なく読めます。
しかし、多用すると文章や単語が軽いものになったりします。
ひらがなを多用すると「こんな漢字も知らないのか」と思われます。
カタカナ表記、外来語は例えば、借金をローンと伝えると言葉の重み、イメージがガラリと変わる物もあります。
漢字とカタカナ表記では、イメージが全く違って、耳障りが心地良く響くものもあります。
ですので、臨機応変に漢字と、カタカナと、ひらがな等、その文面に応じて、表記の仕方を考慮して、使い分けをしたほうが賢明ですね。
読み手に理解できるように、漢字とひらがなとカタカナの表記をうまく使い分ける工夫が必要ですね。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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