縄文時代と弥生時代の違いは?生活が変化した理由とは!

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人類が石を砕いて打製石器で狩猟.採集生活をしていたのが、旧石器時代で13万年前から3万6千年前の前期。

3万6千年後の後期に分けられます。

1949年に岩宿遺跡から、旧石器時代があったことが判りました。

旧石器時代の後、石を磨いたり研いだりして磨製石器を作ったり、土器を作って農耕や牧畜で生計を立てて、新石器時代に入りました。

この時期氷河期が終わり、温暖化へと気候が変化して、人々の生活は大きく変わります。

この記事では、縄文時代と、稲を作るようになった弥生時代に付いて紹介します。

 

縄文時代とは?

1万5千年前から2300年前の約1万年前。

まだ、生活は採集生活が中心でした。

本格的な農耕は始まってなかったが、縄文時代は縄目の文様が入った土器が作られて、生活に利用するようになりました。

この時代を縄文時代と言うようになりました。

植物を栽培して、管理して増やしていた事が、三内丸山遺跡から近年判っています。

この頃から、竪穴式住居を作り、定住するようになりました。

弥生時代とは?

弥生時代は、紀元前300年頃から、紀元後300年の600年の間。

稲作が中心の生活になりました。

弥生時代は、中国大陸から朝鮮半島を経て、稲作や金属器が日本に伝わり、紀元前4世紀には、稲作を中心として、弥生文化が成立しました。

弥生時代は、稲作が人々の暮らしを大きく変えました。

 

 

縄文時代と弥生時代の共通点は?

火を使っていたことと土器を使っていた事。

共同作業をしていた事が、縄文時代と弥生時代の共通点です。

 

 

縄文時代と弥生時代の道具の違いは?

縄文時代は石槍、石匙、打製石斧、磨製石斧、石皿、磨石、凹石、木製品などが、使われています。

地域によってそれぞれに少しづつ変化しています。

弥生時代になって、農耕が中心になったことで、定住生活するようになったことで、縄文時代にはなかった、石包丁や金属製の道具を使うように変化しました。

 

 

縄文時代と弥生時代の食べ物の違いは?

縄文時代の食べ物は、「焼く」、「炙る」(あぶる)、「茹でる」、「煮る」、「燻す」という食べ物の加工の仕方。

弥生時代になって「炊く」、「蒸す」という加工で、火を使ったいろいろな調理法が発達していきます。

それと縄文時代は、狩猟や漁労などの採集生活が中心で、主食は木の実(どんぐり、クリ、クルミ、栃の実)が大切な食べ物で、現在のお米に当たる食物でした。

野草などの植物を集め、動物を追って、狩りをしたり、川で魚や貝を取って食べていました。

弥生時代になって、米や小麦や小豆などの雑穀も、食事に取り入れられて、生活していた事が判っています。

 

 

縄文時代と弥生時代に生活が変化した理由は?

縄文時代は、温暖な気候で狩りや魚を中心とした生活をしていました。

縄文時代中期から後期は、気候が寒冷化して、縄文文化は衰退しました。

中国大陸や朝鮮半島から稲作が伝わり、稲は長期保存出来るため、食料が狩猟時代と比較して豊富になり、人口が増えました。

そのために、土地の所有権を主張するようになりました。

 

 

縄文時代と弥生時代衣食住の違い?

衣は?

縄文人は骨角器で、針を作り麻などの植物の繊維で糸を作っていました。

この紡いだ糸で布も作っていました。

貫頭衣という服も作っていました。

狩猟もしていたので、動物の毛皮などを服に使っていました。

 

食事の違いは?

縄文時代は、狩猟や漁労などの採集生活が中心で、主食は木の実(どんぐり、クリ、クルミ、栃の実)が大切な食べ物で、現在のお米に当たる食物でした。

野草などの植物を集め、動物を追って、狩りをしたり、川で魚や貝を取って食べていました

弥生時代になって、稲作が始まり、米や小麦や小豆などの雑穀も、食事に取り入れられました。

縄文時代の狩猟生活から、稲作によって、食事が大きく変化していきます。

住居は?

縄文時代の一般的な住居は竪穴式住居でした。

地面を丸や四角に掘って、その中に柱を立てて、木でつなぎ合わせる骨組みの上に、葦などの植物で屋根を作った住居。

深く掘れば深いほど、冬は暖かく、夏は涼しい住居でした。

この時代から、人々は定住するようになりました。

縄文人は、骨角器で針を作り麻などの植物の繊維で糸を作っていました。

この紡いだ糸で、布も作っていました。

貫頭衣という服も作っていました。

狩猟もしていたので、動物の毛皮などを、服に使っていました。

弥生時代の服装は?

普段着は一般的に、貫頭衣と伝わっていますが、男性は袈裟衣を着用していました。

男性は頭を木綿と言われていますが、木の繊維で巻き、服装は幅広い布を、結び重ねるだけの単純なもので、縫ってない衣です。

男性の服は、一枚の布を肩から掛けて前で結び、あと一枚の布を腰に巻いて前で結ぶ、袈裟衣の可能性が高いですね。

女性の服も、単衣で真ん中に穴を開けてあるだけの服を、頭を通してきるだけと言われていますが、当時の布が、幅約30cm前後しかないことから、両肩から斜めに交差して胴の部分で結んで着用。

女性の髪は、お下げにしたり結ったりしていました。

弥生時代の食事は?

米や小麦や小豆などの雑穀も、食事に取り入れられて生活していた事が判っています。

弥生時代の住居は?

一般的な住居は、縄文時代と同じ竪穴式住居でした。

地面を丸や四角に掘って、その中に柱を立てて、木でつなぎ合わせる骨組みの上に、葦などの植物で、屋根を作った住居で、深く掘れば深いほど、冬は暖かく夏は涼しい住居でした。

中には、高床式の建物もあったことが判っています。

主に倉庫として使われていて、儀式などを行う場所で、高さがある場所を、神聖な場所として考えられています。

 

 

まとめ

縄文時代は、1万5千年前から2300年前の約1万年前。

弥生時代は、紀元前300年頃から紀元後300年の600年の間。

中国大陸や朝鮮半島から、稲作が伝わり、食料が狩猟時代と比較して豊富になり人口が増えました。

縄文時代の衣は、貫頭衣という服で、狩猟もしていたので、動物の毛皮などを服に使っていました。

弥生時代の服装は、普段着は貫頭衣と伝わっていますが、男性は袈裟衣を着用していました。

縄文時代の食事は、狩猟採集生活。

弥生時代の食事は、米や小麦や小豆などの雑穀が主食。

住まいは縄文時代、弥生時代共に竪穴式住居です。

弥生時代は、高床式住居もできているが、儀式などに使う神聖な場所として使われていた。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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