吉田兼好の随筆「徒然草」の内容と書かれた時代とテーマについて!

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つれづれなるままに、日くらし硯に向かいて、心にうつりゆくよしなしごとを、、、「徒然草」序段

 

作品の書き出しの序文は有名ですが、現代語訳では、やることがなくて、時間を持て余して退屈しのぎに終日、硯に向かって書いているうちに夢中になっている様子を随筆として述べています。

 

吉田兼好の「徒然草」は、未来のことは誰にも判らない。

未来のことを嘆くより目の前の現実を真剣に生きなさい、と言うメッセージとして書かれている。

 

清少納言の「枕草子」や鴨長明の「方丈記」と共に吉田兼好の「徒然草」は三代随筆として有名です。

 

鴨長明が「無常」に落ち込むのとは対照的に、吉田兼好は「無常」だからこの世は面白いと述べています。

 

鴨長明が「方丈記」では飢饉や自然災害、自らの隠遁生活について述べながら「無常」に打ちひしがれる。

 

吉田兼好は対照的に、仏教的無常観を根底に、趣味や過去の回想やいろいろな随想や見聞など述べながら「無常」だからこの世は面白いと述べています。

 

 

吉田兼好の随筆「徒然草」の書かれた時代!

 

「徒然草」が書かれたのは、鎌倉時代の末期から南北朝時代。

 

吉田兼好は官人であり、歌人であり、随筆家です。

 

吉田兼好の本名は卜部兼好(うらべかねよし)です。

 

 

吉田兼好の随筆「徒然草」の第11段!

 

神無月のころは特に有名です。

 

今も昔も人間の感情は全く変わっていないことを記されている。

 

「徒然草」の中でも有名な、神無月の頃(かみなづきのころ)の随筆があります。

 

十月のころ、栗栖野(くるすの)現在の京都市東山区というところを通ってある山里に人を尋ねて入ったことがある。

 

はるかかなたまでつづく、苔むした細い道を歩いていくと奥に風情のあるものさびし気な家があった。

 

木々の間から目に映るのは掛樋の雫の音よりほかは、まったく音はなく静かなたたずまいであった。

 

 

閼伽棚に菊やもみじなど飾ってあるのは、やはり住む人がいるからだろう。

 

こんな感じでも住めるのだなと、風流な生活をうらやましく思った。

 

しかし、向こう側に大きなミカンの木の枝も枝垂れて、たわわに実がなっているのが目にうった。

 

どうしたことか周囲を厳重に囲ってあるのに気が付いた途端に、自分がミカンを盗もうと思って近づいて来たのかと疑われているようでがっかりしました。

 

風情を感じていた直後だっただけにショックは大きかった。

 

このミカンの木さえ無かったら侘び寂びの世界を体現できたことだろう。

 

と言う内容で神無月のころ(かみなづきのころ)は特に有名な随筆です。

 

 

吉田兼好の随筆「徒然草」の内容!

 

「徒然草」は吉田兼好が自分の体験から得た考えなどを書き綴った随筆です。

「徒然草」は二百四十四段で上段と下段から成り立っています。

 

清少納言の「枕草子」や鴨長明の「方丈記」とともに日本三大随筆です。

 

 

 

吉田兼好の随筆「徒然草」の特徴と主題(テーマ)!

 

244段からなる文章で和漢混淆文、と仮名文字の両方で書かれた文章が特徴の随筆です。

「徒然草」の一番のテーマは生死観です。

 

死は皆知っている、しかし、誰も気が付かないうちにやって来る。

 

前から来るとは限らない、後ろから突然やってくる。

 

要するに予期しないうちにやってくる。(55段)

来世への往生とは現世に別れを告げて来世に仏となって生まれ変わること。

 

現世で徳を積み仏道の修行をすること。(58段)

 

 

吉田兼好の随筆「徒然草」のあらすじ!

 

吉田兼好が自分自身の体験を通して思いのままに、人生訓みたいな生き方や、仏道修行についての随筆や、恋愛或いは、自然の四季の情景描写を交えながら、綴った文章。

 

タイトルの「徒然草」の「徒然」とは、特に目的もなく思いのままの記述で「徒然草」の「草」は道端の植物ではなく、現在のノートという意味合いです。

 

上段は八段(本分13頁)で色欲についての戒めが説かれ、百九段(75頁)では「高名の木のぼり」

 

木のぼり名人の言葉から、全ての人に共通する教訓を紹介している。

 

教訓的なことから色欲については、「無理もない」と欲望に迷うことへの理解も述べている。

 

仏教を通して無常観を根本にしながら現世をいかに受け入れるかを述べている。

 

 

「徒然草」の吉田兼好と「方丈記」の鴨長明!

 

生まれた環境や出家、隠遁生活、共通点と相違点。

 

吉田兼好(1283年~1352年)

卜部氏は吉田神社神職の家系だが兼好の家は分家で下級官人の家柄。

 

出家、隠遁後も歌人活動は活発で「太平記で」兼好が、高師直の恋文を代筆する話は高名で新時代の
要人との交流もあり二条天皇周辺、南朝に連なる人々や鎌倉での交流で多様な世界観を生み出している。

 

 

鴨長明(1155年~1216年)

下鴨神社の社家に生まる。

 

神官鴨長継(ながつぐ)の子

長明(ながあきら)が正しい読み方

 

父は河合社(かわいしゃ)下鴨神社の付属社の禰宜(ねぎ)を経て下鴨神社の最高の神官

 

正禰宜惣官(しょうねぎそうかん)を務めた有能な人物であったが、長明20歳前後で早世。

 

そのため下鴨神社を継げず出家。

 

 

 

まとめ

鴨長明が「無常」に落ち込むのとは対照的に、吉田兼好は「無常」だからこの世は面白いと述べています。

 

244段からなる文章で和漢混淆文、と仮名文字の両方で書かれた文章が特徴の随筆です。

 

「徒然草」の一番のテーマは無常観、生死観です。

 

清少納言の「枕草子」や鴨長明の「方丈記」と共に吉田兼好の「徒然草」は三代随筆として有名です。

 

吉田兼好が言いたいのは未来のことは誰にも判らない。

未来のことを嘆くより目の前の現実を真剣に生きなさい、と言うメッセージです。

私達も目の前の出来事に一喜一憂せず、あるがままの現実を受け入れて、真剣に生きていきたいですね。

 

さいごまで読んで頂いてありがとうございました。

 

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