弥生時代の服装は、普段着は一般的に貫頭衣と伝わっていますが、男性は袈裟衣を着用していました。
男性は頭を木綿と言われていますが、木の繊維で巻き、服装は幅広い布を結び重ねるだけの単純なもので、縫ってない衣です。
男性の服は一枚の布を肩から掛けて前で結びあと一枚の布を腰に巻いて前で結ぶ袈裟衣の可能性が高いですね。
女性の服も単衣で真ん中に穴を開けてあるだけの服を頭を通してきるだけと言われていますが、当時の布が、幅約30cm前後しかないことから、両肩から斜めに交差して胴の部分で結んで着用。
女性の髪は、お下げにしたり結ったりしていました。
この記事では弥生時代の男性の服装と女性の服装の名前や髪に付いて紹介します。
弥生時代は今から何年前の時代?
縄文時代が今から1万年から6500年前の時代。
弥生時代は今から2700年前から1700年前の時代を弥生時代といいます。
稲作と金属器(鉄.青銅)が日本に伝わり人々の生活が大きく変わりました。
新しい技術が伝わって人口が増えるとともに、各地に溝ができて米作りと共に金属器などが発達。
川の近くの平坦部に集落ができました。
米作りに使用された田下駄も沼津市の浮島沼では戦前まで使用しています。
この田下駄は米作りで田植えの時に、穴が4箇所あいてい水田で足が沈まないように木でできています。
これを足に固定して田植えをします。
弥生時代の男性と女性の服装の素材は?
弥生時代の服の素材は植物性の繊維が数多く草皮のタイマ、アカソ、繊維として樹皮のコウゾ(現在は和紙の原料)や藤、シナなどが使用されています。
シナの繊維は強度は普通ですが、表面がなめらかで曲げに強く軽いのが特徴です。
加工がしやすいですが、耐久性保存性の点はあまり高くはありません。
紫外線の影響を受け易い事と変色しやすいのが難点です。
一般的には、服の素材は麻が主に使わてていました。
動物性の素材としては、絹などが使われていた事が、明らかになっています。
普及率はまだ不明な点が多くハッキリしたことはわかっていません。
弥生時代の服装の名前は?
服の名前は貫頭衣(かんとうい)と言う呼び名で、一枚の布の真ん中に穴を開けてそれを頭を通して着る簡単な衣類です。
中南米のポンチョも弥生時代の貫頭衣と同じ種類です。
しかし、布幅が約30cm前後しかないことから、男性の服は一枚の布を肩から掛けて前で結ぶ。
あと一枚の布を腰に巻いて前で結ぶ袈裟衣の可能性が高いですね。
女性の服も単衣で真ん中に穴を開けてあるだけの服を頭を通してきるだけと言われています。
しかし、当時の布が幅、約30cm前後しかないことから、両肩から斜めに交差して胴の部分で結んで着用していた可能性が高いです。
弥生時代の男性の服装は袈裟衣では?
弥生時代の織り布の幅は約30cm前後と幅が狭いので布の真ん中に穴を開けて着用と言うのは無理があるため、一枚の布で体を覆うのは難しいことから、2枚の布で体を覆う着用の可能性が高い。
一枚の布を肩から掛けて前で結び、あと一枚の布を腰に巻いて前で結ぶ袈裟衣の可能性が高いですね。
一般的には男性の服は幅広い布を結び重ねるだけの単純な服です。
弥生時代の服装は身分の差が出始めた時代で、身分の高いリーダの服は、幅広い布を結び重ねるだけの単純な服とは違って袖の付いた服を着用していました。
髪は結んで木綿を巻くと言われていますが、木綿ではなく木の繊維で巻いていました。
女性は髪を後ろで結んで貫頭衣をきています。
弥生時代には機織りと染色も始まっています!
弥生時代は朝鮮半島から蚕(かいこ)の繭(まゆ)から、絹糸を取る技術と布を織る技術がつたわりました。
これを何本か集めて1本の糸を作り機織り(はたおり)で布を織ります。
絹の布は植物からできた布より早く出来た上に軽くて暖かく光沢があって美しい、それに草木染もしやすくいろいろな色の布が出来ました。
弥生時代には縦糸に横糸を通して布を織る機織りも始まっていました。
また、染色もあり、藍(あいや紫の染色も行われていました。
主に漁師で海に潜って貝や魚をとる人は、大きな魚や水鳥を追い払うために入れ墨をしていたといわれています。
最近は飾りとして入れ墨をしていたと言われています。
弥生時代にはいろいろなアクセサリー!魔除けや呪術のため?
これらのアクセサリーは単純に装飾品(指輪、腕輪、耳飾り、足飾りなで)ではなく、権力者の墓から副葬品として出土されていることが多い。
そのことから推測して、その地域の指導者や司祭者の権威を示す政治的器物で、現代人のオシャレに身を飾る装身具というより、目的は魔除けや呪術、祭祀(際し)のための装身具の傾向が強かった事が伺えます。
弥生時代には、朝鮮半島から緑色の石でできた「くだたま」や「ガラス玉」が伝わります。
縄文時代の「まが玉」は決まりがなく色々なかたちでした。
縄文時代の終わりごろには、ゼリービーズの形になって弥生時代に引き継がれます。
翡翠(ヒスイ)で出来た勾玉(まがたま)は古墳時代弥生時代に大切に扱われた玉です。
縄文時代の動物の牙でできた物が発展して出来たという説があります。
弥生時代のくだたまの原石は?
くだたまの原石は緑石凝灰岩(りょくせきぎょうかいがん)です。
この石の産地は山陰地方と鳥取県と島根県で、この地域から北陸へ伝わりました。
「くだ玉」などの装飾品は単純に飾るだけでなく本来の目的は魔除けに由来してできた装飾品です。
弥生時代の腕輪(ブレスレット)!
縄文時代は大型二枚貝に穴を開けたものが一般的ですが、弥生時代になると、九州北部で巻貝類のカサガイ、イモガイ、スジ貝などを加工した腕輪が盛んで魔除けを兼ねて、弥生時代の支配階級を表すものであった。
沖縄と九州で取引、交流があった事がわかります。
種子島、九州の薩摩半島、対馬の民俗資料館で数多く展示されていますので、機会があれば見学してみて下さい。
弥生時代末期には、青銅や石(碧玉)を素材として貝輪ににたデザインの腕輪や装飾品が製造されるようになって、腕輪以外にも盾などの飾りも作られています。
まとめ
服装は貫頭衣(かんとうい)だけでなく2枚の布で体を覆う着用の可能性が高い。
服の素材は植物性の繊維が数多く草皮のタイマ、アカソ、繊維として樹皮のコウゾ料や藤、シナなどが使用されていた。
動物性の繊維は蚕の繭を使って絹糸から絹織物の作られていた。染色技術もすでに発達していて草木染で色々ないろに絹織物を染色していました。
指輪や腕輪は装身具として、身を飾るための目的ではなく、目的は魔除けや呪術、祭祀(際し)のための傾向が強かった事が伺えます。
時代が2700年前から1700年前の弥生時代でも、人々の気持ちや自然を敬う畏敬の念や崇拝など、根本的なことはいつの時代も共通しているものですね。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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