「衣食住」は生活する上で、時代に関わらず共通する課題です。
「食と住」は縄文時代の遺跡から生活の道具、土器、「住」については発掘されていますが、「衣」はほとんど発見されていません。
ただし、石川県の米泉遺跡から漆を絞るために使ったために腐らずに残っていた布が発見された事で、縄文人が布を編む技術として日常生活で使っていた事が判りました。
それと人骨や土器に付いた僅かな繊維から縄文時代には、衣があったことが証明されています。
縄文時代の人は植物から取った糸で編んだ布の服を着ていました。
この記事では縄文時代の男性と女性の服装や装飾品(アクセサリー)について紹介します。
縄文時代の服装男性と女性の服装の違いは!
縄文時代は植物の繊維から取った糸で編んだ布の服を着ていました。
縄文時代は狩猟時代で鹿や猪を狩っていたので食用にした後の残りの毛皮は冬場の防寒着の素材として活用していました。
縄文時代の服装は、主に木の皮の繊維(樹皮繊維)や植物の繊維を編んで作られていました。男女とも基本的な材料は同じでしたが、服装にはいくつか違いがあったと考えられています。
男性の服装
- 腰に布や皮を巻いた腰衣(こしい)を着用。
- 狩猟や漁労を行いやすい実用的な服装。
- 寒冷地では上衣や毛皮を身に着けたと考えられる。
- 腕輪や首飾りなどの装飾品を付けることもあった。
女性の服装
- 腰衣に加えて、体を覆う長めの衣服を着たと考えられる。
- 貝製の首飾りや腕輪、耳飾りなどの装飾品を身に付けることが多かった。
- 髪を結ったり飾ったりした可能性がある。
- 土偶には女性を表したものが多く、衣服や装身具の様子を知る手がかりになっている。
共通点
- 麻やカラムシなどの植物繊維を利用。
- 動物の皮や毛皮も使用。
- 季節や地域によって服装は異なった。
- 装飾品として貝、骨、牙、石などを利用した。
ただし、縄文時代の衣服そのものはほとんど残っていないため、遺跡から出土した織物の断片や土偶、海外の類似民族の例などから推定されています。そのため、男女の服装の違いについては完全には分かっていません。
衣の素材も季節によって素材も様々で、麻やコウゾ、カラムシなどの薄皮から繊維を取り布を編んで普段着として活用していました。現在の布とほとんどかわりません。
新潟県で現代まで受け継がれている「アンギン編み」は古典的な編み方です。
縄文時代は現在の服作りのように型紙もなければ、ミシンもありません。バリエーションも豊富にありません。
縄文時代も弥生時代まで続いた「貫頭衣」と呼ばれる服。
大きな布を二つ折りにしてなん中に穴を開けて頭を通し腰で紐を結ぶ簡易的な服が一般的な普段着です。
現代みたいに「メンズ服」「レディース服」「キッズ服」の確定的な証拠になるものはありません。
女性のファッションについては、手がかりになるものが「土偶」で、「土偶」をよく観察すると
現在の「ワンピース」や「スカート」ではなく、「ツーピース」で下の形はパンツスタイル(ズボン)です。
土偶には渦模様や山形模様が描かれていますが、縄文人も儀式などの特別な日にはこうして模様が縫い込まれた特別な服を晴れ着として着ていたことが判ります。
土偶には頭頂部に突起があるため当時の女性の髪は一つにまとめていた事を推測できます。
髪をまとめるために鹿の角を現在のヘアーピンのように使っていたことも遺跡から発掘されています。
この土偶にはよく観察すると判るように渦模様が縫い込まれた服であることから特別な日に着る儀式用(祭祀用)の服であることが判ります。

縄文時代の服装男性と女性の服装の違いは!
縄文時代の服装は、男女ともに植物の繊維(アサ・カラムシ・シナノキの樹皮など)で作った衣服を着ていましたが、装飾や身につけ方に違いがあったと考えられています。
男性の服装
- 腰に巻く腰衣(こしい)や短い衣服が中心。
- 狩猟や漁労を行いやすいように、動きやすさが重視された。
1.縄文時代も弥生時代まで続いた縄や草を編んで作られた、簡単な「貫頭衣」と呼ばれる服が一般的。
大きな布を二つ折りにして、真ん中に穴を開けて頭を通し腰で紐を結ぶ簡易的な服が一般的な普段着です。
胸から腹にかけたY字状の物は前でかけ合わせたり縫い合わせた衣服のように見えます。
胸部や腹部を覆う程度の長さのもの。
2.下半身は、腰に布を巻いたり、ズボン状のものを着用していたと考えられます。男性のズボンは膝上までの長さであったとされています。
衣服は基本的に植物の繊維から糸を取って布を編み手作業で作られ、装飾や模様も一部見られますが、一般的には質素で実用的なデザインであったと考えられます。
ただし、地域や時期によって細かい違いがあるため、具体的な詳細は不明です。

腕輪や首飾りを身につけることもあった。
髪は束ねたり、自然な長髪だったと考えられている。
女性の服装
- 腰衣に加え、体を覆う衣服を着ていたと考えられる。
- 耳飾り・首飾り・腕輪・腰飾りなどの装身具が男性より多く出土しています。
- 髪を結ったり飾ったりしていた可能性があります。
- 儀式や祭りでは特に華やかな装飾を身につけたと考えられています。
男女共通の特徴
- 動物の毛皮や植物繊維を利用した。
- 靴はなく、裸足または簡単な履物だったと考えられる。
- 貝や石、骨で作ったアクセサリーを身につけた。
縄文時代の服装男性服装と女性の服装の違いは!
女性の服装は
1.上半身は、簡単な編み物や布で作られた服を着用していたと考えられます。これは短い丈のブラウスや胸当てのようなものだった可能性があります。
2.女性のファッションについては、手がかりになるものが「土偶」で、「土偶」をよく観察すると
現在の「ワンピース」や「スカート」ではなく、「ツーピース」で下の形はパンツスタイル(ズボン)です。
普段着なのか儀式用の特別な日に着る服か判断する時は、縫い込まれた模様が付いている甲斐内科で判断します。
(渦模様や山形模様)が縫い込まれている服は儀式用です。
土偶には頭頂部に突起があるため、当時の女性の髪は一つにまとめていた事を推測できます。
髪をまとめるために鹿の角を現在のヘアーピンのように使っていたことも遺跡から発掘されています。

縄文時代の服装男性服装と女性の服装アクセサリー!
縄文時代後期から晩期には耳飾りや腕輪などの類が数多く出土しています。
耳飾り(イヤリングやピアス)首飾り(ネックレス)、腕輪(ブレスレット)、櫛やヘアーピン、腰飾り(ベルト)足飾り(アンクレット)現在のアクセサリーはすでに縄文時代にはあったものです。
縄文時代から身だしなみには気を使いおしゃれを楽しんでいたのでしょう。
アクセサリーの素材も現在の宝石として人気のきれいな石(ヒスイ)水晶、こはくなど。
木や粘土、貝殻、動物の骨や象牙や角なども装飾品として活用されていました。
服については男女の差は不明ですが、アクセサリーについては、男性が身につけたもの、女性が身に着けた物が明確に判ります。
男性のアクセサリー
翡翠(ヒスイ)の腰飾り
鹿の角の腰飾り

女性のアクセサリー
耳飾り
二枚貝の腕輪
このアクセサリーは当時服のバリエーションが少ないかわりにアクセサリーで性別や身分を区別していたものと推測できます。
縄文時代の服装男性服装と女性の服装勾玉(まがたま)!
縄文時代のアクセサリーといえば、勾玉(まがたま)も代表的なアクセサリーです。
勾玉(まがたま)は動物の犬歯を真似て作られたと言われるアクセサリー。
熊や猪、鹿、狼サメなどの力強い動物の骨を身につけることでその力を得ることができるという理由から装飾品というより宗教的、信仰的な面から身につけていたことが伺えます。
当時の食生活の一部狩猟の成功を祈願してつけていたという説もあります。
はじめの頃は動物の牙を愛用していましたが、その後、石やガラスなどの代用品が使われました。
勾玉(まがたま)は縄文時代から弥生時代までの長い間愛用されましたが、素材は翡翠(ヒスイ)が使われていました。

翡翠(ヒスイ)は限られた場所でしか採取されないために、新潟県産の物が北は北海道から、南は九州鹿児島まで運ばれていました。
遠距離から運ばれる事から推測しても、装飾品というより身分の高い人が宗教的、信仰心から愛用していたことが判ります。
まとめ
衣服が完全な形で残ってないために詳しいことは不明なままです。
石川県の米泉遺跡から漆を絞るために使ったために腐らずに残っていた編布が発見された事で、縄文人が布を編む技術として日常生活に活用していた事がわかります。
現代のように服装に男女差があったのか不明ですが、女性の服装は土偶から推測されています。
服装よりもアクセサリーのほうが、形や素材が豊富で単純に装飾品というより宗教的、信仰心から、或いは、権威権力の象徴として縄文人には重要な役割がありました。
縄文時代の服装は基本的には似ていましたが、男性は実用性を重視し、女性は装飾品を多く身につける傾向があったと考えられています。
ただし、縄文時代には文字記録がないため、出土品や土偶などから推定された内容であり、地域や時代によって違いがあったと考えられます
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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