漢字とひらがなやカタカナの歴史!なぜ日本には3種類の文字があるの?

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漢字とかなとカタカナについて、きょうまで受け継がれた文字について紹介します。
 
 
平安時代、漢字は菅原道真の得意な文字。
菅原道真は平安時代の貴族であり、政治家、漢詩人でそれだけに漢文の教養は宮廷のナンバーワンです。
 
 
 
 
 
かなは藤原時平の得意な文字です。
左大臣のとき菅原道真を福岡の太宰府に左遷して朝廷の実権を握った人です。
 
 
 
 
 
漢字派(男性)かな派(じょせい)という当時の常識を覆(くつがえ)したのは、後醍醐天皇の時代の)左大臣の藤原時平(871年~909年)で右大臣が菅原道真で、漢文の教養は宮廷でも菅原道真に及ぶものはいませんでした。
 
 
藤原時平は女性との和歌を主にかなを推進していました。
 
 
藤原時平と菅原道真は政治的な面でも正反対で、政治的にも藤原時平勝利で菅原道真は現在の福岡の大宰府へ左遷されました。
 
 
 
そのためにかなの普及の道を開いたのが藤原時平です。
 
 

 

漢字は時代の流れとともにより分かり易く改良されました

 

漢字は時代の流れとともにより分かり易く、改良が重ねられ6世紀~10世紀頃、現在も使われている楷書が標準の書体になりました。

 

漢字が日本へ伝わったのは4世紀~5世紀頃に伝わったと言われ、それ以前の日本に固有の文字はなく、全て口伝えであったようです。

 

万葉仮名が、いつ頃生まれたのが定かではありませんが、「稲荷山古墳出土鉄剣(いなりやましゅつどてっけん)」が発掘されたことから、5世紀には使われており、正倉院(しょうそういん)に残された文書や資料により、7世紀頃には成立していたと考えられます。

 

 

平がなもカタカナも、平安時代(794年~1,185年頃)初期に作られたと考えられています。

 

万葉仮名が由来となり、平がなは漢字を簡素化した文字で、カタカナは漢字の一部(編、創り)を取って作られたと言われています。

 

 

平安時代は平がなは主に女性が使っていました。女性が漢字を使うことは、好ましい事ととは思われていなかった。カタカナは主に、男性が使っていました。

 

 

カタカナは漢文を勉強する時に、メモをする時に生み出された文字だと考えられています。

 

 

平がなやカタカナが作られる前は漢字だけが使われ、公的な文書を書いたり、学問をする人だけが使っていましたが、カタカナや平がなが使われるようになると、より多くの人が読み書き出来るようになりました。

 

特に、女性は学問は必要ないと言われていた女性達が、読み書き出来るようになり、「源氏物語」(げんじものがたり)『いずれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらいたなひけるなかに』で始まる小説は、平安時代中期に紫式部によって書かれた日本の長編小説です。

 

 

 

 

主旨は貴族社会を描いた小説です。「枕草子」(まくらのそうし)『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際』で始まる冒頭の随筆は、清少納言によって書かれたものです。

 

 

 

 

両作品とも宮中に仕える女性の手によって、多くの作品が仮名で書かれています。平がなもカタカナも、平安時代(794年~1,185年頃)初期に作られたと考えられています。

 

この二人の小説、随筆は、千年の時を経て現在も、読み継がれているものです。

 

 

仮名は平安時代は女性の文字で、男性の書く漢字より格は下でした。

 

実態はこれだけの才媛ですので、漢字を知らない筈はないが、紫式部は「一の字も書けないふりをした、と日記に記しています。

 

一番簡単な漢字とは言え漢字です。当時漢字は教養ある男性のもの、女性は平がなを使うのが常識でした。

 

それに漢字を使う女性は「知性をひけらかす人」と言う風潮があったようです。

 

だから、紫式部は「一」の字も書けないふりをして、自分の才能を隠す事こそ、社会でうまく生きていく上での知恵だと考えていたようです。

 

千年も前の事ですので、一般庶民の識字率はかなり低かったのではないかと思っています。

ですので、よりいっそう漢字を使う事に躊躇いもあったのではないかと考えています。

 

しかし、紀貫之は、「男もすなる日記と言うものを、女もしてみむとて、するなり」と言う冒頭から始まる『土佐日記』ですが、現代語訳すると「男の人が書いている日記と言うものを、私、女だけど書いてみようと思っています」と言う感じです。

 

紀貫之は男性ですが、女性のふりをして日記を書き進めます。平安時代は男性=漢字、女性=かな文字と言う風潮がありました。

 

ですのでかなを使って文章を書くと言うことは、女性のふりをしなければいけなかったのです。

現在の日本の教育はより進化して、色々なジャンルの小説を数多くの作家が世に出しています。

 

しかし、土佐日記は「日本で初めてかな文字を使った文学」と言われています。なぜ、紀貫之は女性のふりをしてまで『かな文字』で書いたのか。

 

 

その理由は平安と言う時代背景.文化が影響しています。

 

菅原道真が遣唐使の廃止を朝廷に訴えた話です。道真は自分が遣唐使に任命された際に、もう唐に渡る必要が無いことを進言します。

 

この時代の律令は既に機能しておらず、国自体が衰退の一途を辿っていたためです。

 

遣唐使を廃止した13年後の907年、唐は滅び、新しい宋と言う国が出来ます。それを見越して、唐の事を学ぶより国内に目をける事が大事だと言いました。

 

その後日本は国風文化がねざしていきます。

 

この遣唐使の廃止、国風文化と言う時代の考え方が、紀貫之の土佐日記に反映されているのです。

こうした時代の国内への関心や唐の考え方の排除が、「『漢字』を使用しない書き方」に繋がっていきます。

 

日本の文化であるかな文字を使用することで、今までの唐中心の文化を否定するようになっていきます。

 

『漢字』だけで構成されている文章には温かみが無い、仮名文字を使う事で、文章に温かみを持たせその時の感情を前面に出せるようにして、感受性が豊かな女性が使っていた『かな文字』を旅の旅情を描く日記に使う事で、ますます感情表現も、情景描写も出来るようになりました。

 

それに漢字で書いた時と同じように、かなを書くと、かなの美しさを表現する事は出来ません。

 

視覚で感じるかなと漢字は、構造上明らかに違いは判ります。

 

漢字は画数が多くて複雑です。

かなは画数が少なくて簡単です。

 

直線的な画が複雑に交わり合って出来ているのが漢字の特徴です。

画数が少なく丸みを帯びているのが仮名です。

 

漢字は、楷書体、行書体、草書体、隷書体とありますが、漢字を草書風に崩したものが平仮名です。

 

漢字には漢字の長所もあります。漢字の場合は一字、一字に意味があり独立しています。

例えば空とか雪には意味があります。

 

このように、意味のある文字体系を表語文字と言います。しかし、かなの一字、一字には意味はありません。

 

その文字が持つ音を表している記号に過ぎません。「いろは」の「い」は音以外の要素を持っていません。

 

このようにその文字だけでは意味のない文字を表音文字と言います。

 

現在の日本では、中国で生まれた漢字と、漢字を基に日本で独自に作られた平かなとカタカナの両方が使われていますが、我々はかな文字と漢字を併用しています。

 

これは国風文化の中で紀貫之、遣唐使を廃止した菅原道真の功績と言っても過言ではないでしょう。

 

万葉仮名の時代から平安時代を経て、その後近代の明治33年(1,900年)に小学校令施行規則の第一号に「48種の字体」の平がなが示され一般に普及しました。

 

但し、「ゐ」「ゑ」の平がなは現代仮名遣いでは「い」「え」に置き換えられて、現在は歴史的仮名遣いにおいてのみ用いられています。

 

また、カタカナも平がな同様、標準とされた字体だけが公教育において指導され一般に普及.浸透して現在に至っています。

 

 

3種類もの文字を使いこなしている国は日本だけです

 

我々が普段使っている日本語は、漢字、カタカナ、平がなを使っています。

 

物心ついた時から日本で育っていると、成長とともに漢字、カタカナ、平がなを覚えていくので、それが当然と思ってしまいますが、他の国を見てみると、3種類もの文字を使いこなしている国はないですね。

 

現在は科学技術が進歩して、巷に物が溢れ、より快適に、より便利にと言う事だけを追求するあまり、先人の功績に感謝する事を忘れてしまいがちです。

 

このように漢字と平がなとカタカナの3種類の文字を自分の意志で無意識に、自在に書ける事を考えた時に、先人が長い時間をかけて作りだしてくれた、文字の恩恵を受け継いで、自分の気持ちや考えを相手に伝える事が出来る事に、感謝することを忘れないように心がけたいです。

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

 

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