徳川家康の時代無能の烙印を押されて消えた2世大名は誰?

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今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」! 幼い頃は竹千代と言う幼名で今川義元のもとで、人質として不遇な生活を送っていました。

 

「どうする家康」に登場する2世大名(父親が権力のある大名)で戦で敗北し、無能者の烙印を押されて消えた3人の2世大名について述べてみました。

 

この3名の大名については、無能者として異論もあると思いますが、家族や家名の地位を失ったと言う側面はあります。原因は時代背景やその当時の政治情勢を検討して評価する必要があるでしょう。

 

 

徳川家康の時代無能者の烙印を押されて消えた3人の2世大名は?

 

徳川家康は戦国時代を完璧に終わらせて264年に及ぶ「天下太平」の社会の基礎を築き上げました。

源氏も北条氏も足利氏も夢だけで実現出来なかった「天下統一」を実現。

 

徳川家康が天下統一を成し遂げた理由はいろいろありますが、やはり忍耐力と日頃の人望の厚さ、それと運を味方につけた幸運な人物と言う事でしょう。

徳川家康が264年もの長い間天下泰平の世を築いた陰には、戦いに敗れて消えた大名もいます。その無能の烙印を押されて消えた2世大名について

 

 

徳川家康の時代無能者の烙印を押されて消えた3人の2世大名は?

 

江戸時代の三英傑といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ですね。

先見性を数値化すると織田信長を100とすると豊臣秀吉は10、徳川家康は0。しかし、家康は兵法から軍略まですべてを武田信玄から学びました。

 

それと戦略的な能力や忠誠心を持つ人材(林羅山、藤原惺窩などの学者)が家康の意図を心得て情報を提供してその結果、機能して成果に恵まれて天下統一を成功へ導いた。

徳川家康は戦略的な能力や忠誠心を持つ人材に恵まれた事と強運の持ち主、運を味方につけた幸運な人物である。

 

初代徳川家康から、15代将軍慶喜まで265年の泰平の世を築きました。

徳川家康が264年もの長い間天下泰平の世を築いた陰には、戦いに敗れて消えた大名もいます。その無能の烙印を押されて消えた2世大名について述べました。

 

 

今川氏真(1538年~1614年)

今川氏真(1538年~1614年)永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで、父親の義元は戦死しました。氏真は奮闘したものの、永禄12年(1569年)に掛川城を開城して、戦国大名としての今川氏は滅亡します。

 

今川義元「今川仮名目録」(戦国大名が制定した現存する最古の分国法・家法)の制定など功績はあったが公家がした軟弱大名と言われた。

 

今川氏真は偉大な父親の今川義元を失った事から、同盟関係にあった武田氏、北条氏、家臣からも見放されたが、晩年は豊臣秀吉、徳川家康の庇護を受け、子孫は高家(こうけ)江戸幕府の儀式や典礼を司る役職になった。

 

 

 

武田勝家(1546年~1582年)

武田勝家(1546年~1582年)天正3年(1573年)の織田・徳川連合軍との長篠の戦い以降急速に衰える事はなかった。

 

勝頼は天正9年(1581年)織田信長との和睦を臨んでいた。

 

しかし、実現することなく織田軍が甲斐に攻め込むと家臣達は離反した。父親の信玄は勝頼の才覚を信じていた。穴山梅雪は讒人(ざんにん)を登用すると避難した。

 

 

 

大内義隆(1507年~1551年)

大内義隆(1507年~1551年)の父義興は、周防など5か国の守護を務めた人物。

 

義隆は文芸を好み明や朝鮮と貿易をして、キリスト教の布教を認めて山口を文化都市として繁栄させた。

 

功績は認めざるを得ないが、政治手腕は乏しく家臣の陶晴賢と対立して結果的に自害に追い込まれた。

 

 

 

当主が家臣を従えるのは当然のことですが、力不足政治的側面だけを見ると力不足しかし、文化経済的な点は類稀な能力を発揮した。

 

武家社会の政治手腕だけの1点を見ると無能者と揶揄されるが、他の側面の能力は秀でている。

 

武家社会の政治手腕だけで評価すると、無能者と言う評価をされるが、多面的に見ると必ず秀でた能力が伺い知れる。

 

 

まとめ

今川氏真は奮闘したものの、永禄12年(1569年)に掛川城を開城して、戦国大名としての今川氏は滅亡。

武田勝頼は天正9年(1581年)織田信長との和睦を臨んでいた。

しかし、実現することなく織田軍が甲斐に攻め込むと家臣達は離反した。

大内義隆は文芸を好み明や朝鮮と貿易をして、キリスト教の布教を認めた。

山口を文化都市として繁栄させた功績は認めざるを得ないが、政治手腕は乏しく家臣の陶晴賢と対立して結果的に自害に追い込まれた。

これは政治手腕だけの一点を見て無能という評価はであり、時代背景やその当時の政治情勢からの評価、視点を変えると文化、貿易においては評価すべき点大いにあります。

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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