書道に馴染みのない方でも、「日本三筆」とか、「日本三蹟」と言う言葉は国語の授業や歴史の授業で耳にした事があるのではないでしょうか?
どちらも書の大家3人を言う言葉ですが、どちらが「三蹟」でどちらが「三筆」やらよく判らないということはありませんか。
「三筆と三蹟」を人物と書風の特徴を挙げながら紹介します。
日本三筆について平安時代の能書家!
三筆→唐様 平安時代初期の弘仁.貞観文化の中国風の書体の能書家(名人)
9世紀頃活躍した能書家で日本の書道史で最も優れた3人の呼称です。
江戸時代や明治時代、昭和にも三筆はいました。江戸時代と明治時代や昭和の三筆については後で述べます。
三筆とは空海、嵯峨天皇、橘逸勢の事です。
日本三筆が書道史の中で重要と位置づけらているのは、唐風の書を好み倣ったからではありません。
王羲之と呼ばれた唐晋の書家に影響を受けたが、それを取り入れながらそれぞれが独自の書法を築き、アレンジして日本風にしていったことが大きいと思います。
それが後の世に与えた影響は計り知れません。
空海(くうかい)
「弘法大師」の名前で知られる空海(くうかい)ですが、真言宗の開祖です。「弘法筆を選ばす」や「弘法も筆の誤り」など、書道に関わることわざがあるほど書の分野でも有名です。
唐に渡った空海は韓方明と言う書家に師事して唐の書を学び東晋の王羲之や唐代の顔真卿と言った中国書道の大家の影響を受けました。
空海は中国語も堪能であることでも唐の人々を驚かせたと言いますが、書道でも在唐時から名声を得ていた言われています。
篆隷楷行草だけでなく飛白(刷毛でかすれたように書く書体)や梵書にも優れています。空海を祖とする流派は大師流と呼ばれ、多くの人が空海の書に学びました。
こちらが欧陽詢の「九成宮醴泉銘」(きゅうせいきゅうれいせんめい)です。
書道を習う人は必ずこの書を学ぶ、と言う程有名な書ですね。楷書の模範となる書です。
下の書は嵯峨天皇の「光定戒牒」(こうじょうかいちょう)です。
欧陽詢の書と比べてみると、右の払いが強いところなどがどことなくにていませんか。漢詩と唐代の文化の他、嵯峨御流(さがごりゅう)と言う華道の流派の開祖としても知られています。
橘逸勢(たちばなのはやなり)
橘逸勢(たちばなのはやなり)は遣唐留学生として最澄や空海と共に唐へ渡りました。
唐では「橘の秀才」と呼ばれ才人として認められました。書の他文学にも秀でています。橘逸勢の書として伝わる一つが「伊藤内親王願文」です。
しかし、橘逸勢の筆であろうと伝わっているのみ。現在では真筆とされるものが殆どのこっていません。
橘逸勢の書は躍動感がありますね。
日本三蹟とは平安時代の能書家!
三蹟→和様 平安時代中後期の国風文化の和風の書体の能書家(名人)
続いて三蹟(さんせき)です。こちらも優れた能書家三名
(小野道風.藤原の佐理.藤原の行成)を指しています。もともとは 三賢と呼ばれました。
三筆はほぼ同時期に活躍しましたが、三蹟はそれぞれの年齢に数十年の開きがあり、書が継承されました。それぞれの書を野跡(やせき).佐跡(させき)権跡(ごんせき)と呼びます。(権は行成が権大納言であったことから)
三筆は中国の書の流行を持ち帰り、独自の書風を開拓しました。
平安初期は遣唐使を送って唐の文化を盛んに取り入れていたこともあり、色濃く唐の流行が出ていますが三蹟が活躍した時代は遣唐使制度が廃止され、国風文化が花開いた時代です。
かなが誕生した後の書道です。
彼らは和様書道の大家として知られます。そこが三筆との大きな違いでしょう。
小野東風が和様書道の先駆けとして知られ、そこから藤原佐理、藤原行成へと継承されていきます。
小野道風(おののとうふう/みちかぜ)
小野道風(おののとうふう/みちかぜ)は平安中期の貴族、能書家で平安前期に活躍した小野篁(おののたかむら)の孫です。
東風は王羲之をよく学んでおり、王羲之に通じた空海の書風を良く受け継いでいると言われます。とくに行書に秀で、温雅で柔軟な作品が多く残されています。
下の書は道風の真筆と伝わる「屏風土代」(びょうぶどだい)です。土代とは屏風に書く揮毫の下書きです。
下書きとは思えないほど素晴らしくその書風は豊麗です。
道風はそれまでの中国に倣った書風を脱し、漢字を和様にしていきました。かなの書についてはなく、伝承筆者としてのみ伝わっています。
藤原の佐理(ふじわらのすけまさ)
藤原の佐理(ふじはらのすけまさ/さり)平安時代中期の公卿。能書家です。佐理は草書に優れ、作風は自由奔放で躍動感があります。
下の書は佐理の真筆出「詩懐紙」(しかいし)です。懐紙は菓子を取り分ける際に使う紙として知られていますが、漢詩や和歌を書写する際にも使われていました。
この「詩懐紙」には道風の影響がみられます。佐理についても、真筆のかなの書は伝わっていません。
藤原行成(ふじわらのゆきなり)
藤原行成(ふじわらのゆきなり)平安中期の公卿.能書家です。一条天皇に仕え支えた四納言の一人でもあります。
行成は王羲之の書風を良く学んだ道風の影響を色濃く受けており、知的で上品な書風が特徴です。
行成は「権記」に「夢で道風に会い、書法を授けてもらった」と記しています。道風を書家として尊敬していたことがうかがえます。
行成の真筆として知られるのが「白氏詩巻」や「本能寺切」で、いずれも優雅な漢字書体の書。残念ながらかなの真筆は現存してないと言われています。
伝承として残る行成のかなの一つがこの「粘葉本和漢朗詠集」(でっちょうぼんわかんろうえいしゅう)です。
行成は和様書道の完成者と言われ、彼を祖とする書道の流派.世尊寺流は宮廷や貴族の間で尊重されました。
頭の中でごちゃ混ぜになってしまいそうな三筆と三蹟ですが、どちらも日本書道史において大家がそろっています。それぞれの特徴の違いをおさえてみると覚えやすいかもしれません。
三蹟は和様書とかな書を完成させたとも言われていますが、真筆が伝わってないのが残念です。
嘉永の三筆
近衛信尹(このえのぶただ).本阿弥光悦(ほんあみこうえつ).松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)の書は、日本書道史における近世の幕開けと位置づけられて、後世「嘉永の三筆」の名で呼ばれています。
型の習得と故実を重視した中世の流儀書道から生まれた彼らの書は、その源流である平安時代の古筆や古典籍に学んで根本的にその書法を革新して同時に、桃山時代特有の活気ある空気に触れて大胆に洗練され、新しい表現を切り開きました。
その一人近衛信尹(このえのぶただ)は、はじめ持明院流(じみょういんりゅう)書法を学び、家蔵の平安古筆や藤原定家の書に造詣を深め、屏風全体に大字で直接揮毫すると言う従来にない表現を開拓しました。和歌屏風(わかびょうぶ) 江戸時代 17世紀
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)は、平安時代に書写された古今集「本阿弥切」の名がその所持にちなむように平安古筆を範とし書法に活かすだけでなく料紙技法の研究開発を手掛けました。
和歌巻(わかまき) 江戸時代 17世紀
.松花堂昭乗(しょうかどうしょうしょうじょう)は平安古筆に加え空海の書法(大師流、だいしりゅう)にも学びさらに平安後期の装飾経「竹生島経ちくぶしまきょう)に筆跡を遺し嘉永文化人として多彩な足跡が知られています。また門弟の育成に尽力し、その流派は永く隆盛しました。
長恨歌(ちょうこんか) 江戸時代 17世紀
幕末の三筆
江戸時代末期に活躍した唐様の能書のうち、巻菱湖(まきりょうこ)、貫名菘翁(ぬきなすうおう)、市河米庵(いちかわべいあん)の三人。
巻菱湖(まきりょうこ)江戸時代後期の書家 1,777年~1,843年 「習字教室 書道の時間」を創設した人物
貫名菘翁(ぬきなすうおう)江戸時代後期の儒学者.書家.文人画家 1,778年~1,863年
市河米庵(いちかわべいあん)江戸時代後期の日本の書家、漢詩人 1,779年~1,858年
明治の三筆
日下部鳴鶴(くさかべ めいかく)1,838年~1,922年
日下部鳴鶴は力強い筆跡が特徴で、これまで和様だった日本の書式の基準を唐様に変更しました。代表作は『大久保公神道碑』や『木村重成碑』などがあります。
中林梧竹1,827年~1,913年
巖谷一六1,834年~1,905年
巖谷一六は明治政府に仕えた官僚で1880年に来日した楊守敬から六朝書式を学び、独特の書風を作り上げました。代表作には没後編纂された『一六遺稿』や自身で筆を執った『山水画』が挙げられます。
昭和の三筆
西川寧(にしかわやすし):1,902年~1,989年
西川寧は中国文学者でもありながら、書の巨人と呼ばれ現代の書道界に大きな影響を与えました。代表作には『西川寧自選作品集』や『西川寧臨賈思伯碑』などがあげられます。
手島右卿 (てしま ゆうけい)1,901年~1,987年
手島右卿は文化功労者で、ニックネームで「ライオンの右卿」と呼ばれていました。代表作には『右卿臨書集成』や『右卿唐詩帖』などがあります。
日比野五鳳(ひびの ごほう)1,901年~1,985年
日比野五鳳は1901年に生まれた書家で、1948年に教員を退職してから書道に専念しました。代表作には『奈良七重』があります。
日本の書道史上の能書家(名人)三筆はそれぞれの時代に存在しますが、平安時代初期の空海、嵯峨天皇、橘逸勢の3名を嚆矢とします。
三筆の言葉自体は国語や歴史の授業で聞いたことはありますが、人物と代表作品までは覚えていない方が殆どかと思います。
時間の経過と共に人々の価値は、絶えず変化していくものですが、「三筆と三蹟」の名前は、今尚、揺らぐことのない地位を現代に至るまで築いています。
この記事を通して、三筆について関心を持って頂いて、知識としてすこしでもお役に立てたら幸いです。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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