江戸時代は150年ほど前になります。
現在みたいな「環境問題」はありませんが、資源が豊富に無くあらゆる物を再利用して生活。
生活全般すべてにおいて、リサイクル、リユースが当たり前の時代でした。
植物から搾(しぼった)油は、ゴマ油、えごま油、菜種油、綿実油の植物系油で今でも食用油としてよくある油が行灯の燃料。
搾りかすは田畑の肥料に、稲を収穫した後の茎、藁(わら)は草履や縄に編んで、自然の恵みを何回も利用。
動物系の油は、鰯、クジラ、などの魚油ですが、この動物系の油の搾りかすも肥料に再利用していました。
使えなくなった物も修理して再利用、現在のリサイクルですね。
何度も直してそれでも使えなくなった物は燃やしてその灰は田畑の肥料として無駄なく再利用。
江戸時代には明らかに現代と違った生活習慣や風習などもありました。
お風呂やトイレに関する様式や習慣、あるいは医療や出産など、明らかに今の時代からは考えられないようなことが数多くあります。
江戸時代の生活!エコについて再利用(リサイクル)していたものは?
江戸時代は、物が現在のように豊富にはありません。
1つの物を大切に使うリサイクル意識はかなり高い。
着物は大きな布を糸で縫い合わせて作り、糸がほつれたら、再度縫う。
生地が薄くなって劣化したら寝巻き。
その後はおむつ、最後は雑巾といったように何回も再利用して、最後は燃やして田畑の肥料になります。
現在の衣類みたいに石油製品の化学繊維でないだけに、燃やしても人体に及ぼす有害物質が出ない。
燃やした灰は最後は田畑の肥料になります。
現在ほど物が豊富でない時代に修理したりして再利用して、農機具や傘、或いは茶碗や下駄の履物、生活全般、全てにおいて修理職人が活躍していました。
江戸時代の生活!医療は?
江戸時代の医療は漢方治療で自宅療養で医師が往診するのが常識。
病院に入院させる設備も病院もありません。
それに、朝廷幕府、藩に仕える医者と町医で医者に坊主頭が多いのは僧侶が漢学を勉強して医療に携わっていた事に起因します。
総髪にして束ねるスタイルは江戸時代中期の名医後藤艮山(ごとうこんざん)。
その後、頭を剃った剃髪(ていはつ)と、総髪や束髪が医師の外見にも見られるようになりました。
格式のある医者は籠(かご)を利用する乗り物医師で、町奉行から許可を得ていました。
普通の町医者は薬箱を持たせる供を同行させていました。
江戸時代の生活!出産は?
江戸時代になって間もない頃は乳幼児の死亡率は高いために多産でした。
無事に1歳の誕生日を迎えられるのは新生児の20%~25%でした。
安産祈願は江戸時代になると庶民の間でも、安定期をむかえたら戌(いぬ)のひに腹帯の儀式をやっていました。
江戸時代にも出産は家の外に用意された、小屋や納屋でお産をしていました。
大量の出血は汚れ(けがれ)として忌み嫌う考えは江戸時代以前から変わっていません。
立会は実の母親、姑、近所のお産経験者の協力で成り立っていました。
お産経験者だけで赤ちゃんの誕生に協力していました。
仰向けに寝てのお産ではなく、「座産」(ざさん)が一般的でしゃがんだスタイルで分娩していました。
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江戸時代のお産は声を出さすに静かにお産をしました。
それに食事も刺激物は体に悪影響を与えると言うことでお粥と鰹節だけの食事。
現代では産後のお祝いディナーは豪盛なことも当然のようになっていますが、江戸時代の女性の忍耐力は想像を超えるものがあります。
江戸時代の生活!江戸時代のお風呂は?
江戸時代の人はお風呂がとても好きだったと言われています。
江戸時代の初期には新しい町作りから始まって全国から土木・建設作業員が江戸に来て働いていました。
仕事の後の土やほこりにまみれた体をきれいにする。
お風呂は、特に大事だったようで銭湯は急速に発達して江戸の町中にいくつもの銭湯がありました。
江戸時代の生活!トイレは?
江戸時代のトイレは、長屋住まいがほとんど。
各戸にひとつトイレがあるというほどの経済力のある家はほとんどありません。
10世帯ほど暮らす長屋に、2つほどのトイレ(共同トイレ)で「惣後架」というくみ取り式のトイレがあるだけというのが標準的でした。
江戸の農家は排泄物を肥料に使うため、野菜やお金をはらってトイレを汲み取らせてもらっていました。
排泄物は肥料となるため、大家の家計を支える商品となっていました。
無駄なものは一切ない理想的なリサイクル、リユース。
江戸時代の生活!灯り・照明は?
江戸時代には、ガスやランプもまだありません。
最初の灯りは松明というものが使われていました。
昔の照明はロウソクです。
仏教が伝わったことで日本にもたらされていたと言われています。
室町時代後期にロウソクが作られるようになります。
しかし、広く普及することはなかったようです。
燃料として使っていたものは、植物や動物の油を利用した「ともしあぶら(灯油)」でした。
その油は、ゴマ油、えごま油、菜種油、綿実油の植物系油で今でも食用油としてよくある油。
動物系の油は、鰯、クジラ、などの魚油です。
行灯(あんどん)
行灯は、小皿に注がれた油がついたものです。
これにイ草などから作った灯芯を浸して火をつけて灯りとしていました。
風で火が消えないようにと、和紙を貼った木枠で周囲が覆われているのが特徴です。
行灯も種類はいろいろあって、絵が描かれているものは、角柱型の角行灯と言われるものです。
関西でポピュラーなのは、円柱型の丸行灯です。
描かれたものは丸行灯の中でも覆いの一部がスライド式となっている遠州行灯というものです。
大行灯
大行灯は、人間よりも大きいものです。
妓楼で働いている男性が油を足していました。
大行灯は吉原の遊女たちが居並ぶ張見世の中で使われていました。
ドラマなどでも再現されていることがありますよね。
八 間
八間は、はちけんと読みます。
こちらは、天井につるして使用して部屋全体を明るくします。
中心にある小皿に灯油を入れ、灯芯に点火したものです。
有明行灯
灯りを外に出して箱に乗せれば部屋などを広く照らします。
箱の中に灯りをいれれば小窓から光がもれるので就寝のときの照明となったようです。
瓦 灯
瓦灯は、安い、便利、素焼だから火事の心配が少ないという利点がありました。
江戸時代の庶民にはとても重宝されていたと言われています。
提灯が普及するまでは、行灯を外出用照明として持ち歩いていました。
江戸時代の生活!食事について
現在3食の食事をしているのは江戸時代の習慣からできたものだと言われています。
定着したのは、1,688年〜1,704年の間でそれ以前は朝と夜の2食だけでした。
主食が玄米や麦飯から白米になり、ご飯とおかず数種類を食べる様式が定着します。
江戸初期までは味付けの中心は塩や酢や味噌でした。
この頃から醤油や砂糖、みりん、鰹節などが普及し、煮物料理などが作られるようになりました。
朝 食
朝ごはんは、現在と共通していて、炊き立てのご飯と味噌汁、漬物が基本的なメニュー定番でした。
裕福な家では煮豆などの副菜がつくことがありました。
昼 食
昼食は冷やご飯と、朝の残りの味噌汁でした。
仕事で外に出て仕事をする人は、ご飯と煮物の入ったお弁当を持参していました。
弁当持参は現在と共通していますね。
子どもはお昼は食事のために家に帰っていました。
江戸時代の後期には、寿司、そば、てんぷら、おでんなどの屋台の数が増えて、外食で昼食を済ませる人が多くなったということで現在のライフスタイルと共通していました。
夕 食
夕食は、冷や飯、味噌汁に2品くらいのおかずというのが基本です。
必ずというほど主食はお米です。
おかずにはひじきなどの海産物とか、野菜の煮物が多く、裕福な家庭でも魚を食べるのは1ヶ月に1回か2回くらいだけです。
夕食の食文化が生まれたのも江戸時代で、お寿司は、当時は高級という食事でなく、庶民が屋台で食べるものというところが現在とは違います。
一日三食は江戸時代から現在に引き継がれています。
現在から考えられない事は、お寿司が高級という食事ではなく、庶民が屋台で食べていた食事ということを羨ましく思います。
時代によって生活様式や食事、医療など、現在でも進化して留まる事はありませんね。
なお現在は豊富な物質と共に食も飽食時代で豊かな時代になりました。
現在の豊かな時代を今一度見つめてみたいですね。
最後まで読んでいただいて有難うございました。
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