私達が子供の頃、普段何気なく聞いたことのある子ども向けの歌、「わらべうた」と「童謡」と「唱歌」について紹介します。
「わらべうた」と「童謡」と「唱歌」の違いに付いて、普段はあまり意識した事は無いですよね。
「童謡」はおもに西洋の音階が使われており、手遊びなど体の動きを伴うものはおおくありません。
わらべ歌と童謡の違い? わらべ歌は子供から自然に生まれました
現在程、物質的に豊かではなかった筈ですが、叙情詩にしても、叙事詩にしても、現在聞いていても、童心に帰り懐かしく思い素直な自分に戻れる歌、心に安らぎを感じる歌が多いのが童謡ではないでしょうか。
今回は、わらべ歌と童謡と唱歌とそれらの歌詞の疑問について述べてみたいと思います。
一口に童謡と言っても、わらべ歌、童謡、唱歌、と色々あります
わらべ歌は、子供達を取り巻く生活や遊びの中で、親や祖父母から伝わった歌、子供達から自然に作り出された歌です。
童謡とは大正時代に、鈴木三重吉が北原白秋の協力を得てのもと、児童文学の発展のために力を尽くした大人が、子供のために作曲した歌です。
これらに共通している事は、子供達の間で歌われ続けた曲や童心を表現した歌で、歌詞が簡単で覚え易いのが特徴です。
唱歌とは、文部省唱歌の事で、学校教育のために作られた歌で、著作権は文部省が所有し作詞、作曲者は明らかにされなかったそうです。
自然をゆっくりと観察しながら、誕生した素朴な歌が多いので心に染みますね。
わらべ歌と童謡と唱歌とそれらの歌詞について!
我々が小学生の頃は、音楽の時間になると歌詞の意味も考えずに、何気なく歌っていた童謡や唱歌の歌詞も、大人になって改めてその歌詞を読み返して見ると、はじめて気付かされて納得いく歌詞も沢山あります。
大人になって聞いてみて、歌詞の意味を理解できます。
文部省唱歌の「蝶々」(野村秋足作詞)のちょうちょう、で始まる「蝶々、蝶々、菜の葉に止まれ」は、蜜蜂は良く観察していると、菜の花の蜜を求めて花に止まりますが、蝶々は、花ではなく葉っぱに止まります。
その時は、ただ何となくその状況を見ていました。
特にその理由を考えもしませんし、蜜蜂は菜の花の蜜を吸っているのに、沢山のモンシロチョウは、菜の花畑で、花の蜜を吸うのではなく、葉っぱから葉っぱに、飛び交っている様子は目にしていました。
大人になって漸くその理由を知りました。
それは、モンシロチョウが、(食べ物)蜜を求めているのではなく、卵を産み付けるために、アブラナ科の葉っぱに、止まっていた事が判りました。
モンシロチョウの幼虫(青虫は)は葉っぱを餌にしているの小学生の頃、小学校の通学途中とか、おうちの家庭菜園で良く目にしていた光景です。
モンシロチョウの幼虫は、アブラナ科の葉っぱしか食べないので、足の先端で菜の葉っぱから出る物質を、確認しながら葉っぱから葉っぱへ飛び交かっていたのですね。
気まぐれに、飛び交っていた訳では無い事実を知りました。
他にも文部省唱歌「夕焼け小焼け」の、夕焼け小焼けで日が暮れて、私も良く歌っていましたし、真っ赤な夕焼けの状況も見ています。
記憶に残っているのが小学生の頃、海岸から見た西の空の綺麗な夕焼けが一番記憶に残っています。
今でも鮮やかに記憶が蘇ります。
この歌を聴くと幼少の頃を思い出して懐かしく思います。
さてこの歌の夕焼けは、子供の頃に見ていた光景です。
夕焼けは言うまでもなく判ります。
太陽が西に沈む時に、空が焼けたように真っ赤に染る事です。しかし小焼けとは、どんな意味があるのか疑問に思いませんか。
夕焼けが終わって太陽が沈んでから暫くすると空がもう一度赤くなります
夕焼け程、鮮やかではないけど、追憶の彼方から、この現象が鮮明に蘇ります。
また童謡「赤とんぼ」(三木露風作詞)名前の通り本当に赤いトンボです。
赤とんぼ、止まっているよ竿の先、この情景も竿に止まっている情景より、小枝の先に静かに静止している状況を、子供の頃見ています。
子供の頃、虫取り網で採るより、静止しているトンボを手で捕まていました。
なんとなく羽を休めている、と思っていましたが、赤トンボは、体温が変化してしまう変温動物です。
秋が深まり気温が低くなると、飛ぶことが出来なくなってしまうため、時々竿や小枝の先に止まって太陽の光を浴びて、体温を上げています。
それにトンボは効率よく体温を上げるために、出来る限り広い面積に光を当てたい、そのために、竿や小枝に止まる時は、必ず長くて面積の大きい横腹が日光を浴びるように、日光に対して横向きに止まるようです。
ただ何となく単純に、羽を休めるのではなく、それなりの理由があるものですね。
童謡や唱歌には日本の原風景、豊かな自然や美しい風景が描写され、綺麗な日本語とメロディーで表現されている事を考えると昔の人は、現代人ほど忙しい日常ではなく静かにゆっくりと自然を観察している事に感心します。
「兎追いし かの山、小鮒つりし かの川」(高野辰之)この歌のとおりの体験を、我々の世代は実際体験しています。
その当時は塾のない長閑な時代です。
学校から帰ったら塾に行く必要もありませんでした。
小学2年生の頃に近所の友達と、学校帰り二人で野兎を捕まえようと、海岸近くの松林の茅の生い茂った草原に寄り道した記憶を懐かしく思い出します。
童謡に歌われた日本の原風景は現在探すのが難しい!
かつてどこにでもいた、赤とんぼも見る機会がないし、現在は大人も子供も忙しく「夕焼け小焼け」を見る時間もない、現在の住まいの高層ビルが、空を隠し夜は夜でネオンサインで星空を観賞したくても時間の制約上、また環境によって自然に触れる事が中々難しい現代だからこそ、たまには立ち止まって童謡の世界と自然を体感して欲しいです。
素晴らしい童謡を、これからも歌い継いで欲しいと思っています。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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