立春から数えて88日目が八十八夜で、お茶摘みに適した時期です。
日本で生産されるお茶は、ほとんどが緑茶です。
昭和40年代までは、各地で紅茶が生産されていましたが、品質・価格面でインド・スリランカに太刀うちできませんでした。
また、日本で烏龍茶がブームになった昭和54年(1979年)から60年(1985年)ころには、烏龍茶の製造を試みたところもありますが、紅茶同様に思わしくなく、現状では日本で生産されるお茶はほとんどが緑茶といえます。
製法は、ほぼ蒸し製法で、九州の一部では地元消費のため釜炒り緑茶(玉緑茶など)が存在します。茶種別生産量でみると、普通煎茶が3分の2を占めています。
お茶の種類は大きく分けると3種類です
緑茶(不発酵茶)摘み取ったお茶をただちに加熱して、発酵せずに作ったお茶です。
烏龍茶(半発酵茶)不発酵茶と半発酵の中間程度に発酵したものです。
紅茶(発酵茶)酵素による発酵が完全に進んだ後に作るお茶です。
お茶を種類別にみてみましょう
煎茶(せんちゃ) は製造工程での蒸し時間が短いため、「浅蒸し」や「普通蒸し」とも言われるお茶です。
生産量で言えば圧倒的に緑茶が多く、一般的な認識としても「日本茶といえば緑茶」となります。そこで日本茶の種類について紹介します。
緑茶と言えば煎茶を想像されます。煎茶は日本茶の代表格であり、全国の緑茶の生産量のうち6割近くを煎茶が占め(平成28年時点)、緑茶の中で最も飲まれているのが煎茶です。
定義としては、茶葉を「蒸し」て「揉んで」作るお茶のことです。茶葉を畑で摘んで、新鮮なうちに熱処理することにより酵素の働きを止めて発酵が進まないようにし、揉むことで乾燥させながら茶葉の形状を整え、保存性を高める工程を踏みます。
蒸しによって水色(すいしょく)がかわり黄金色のお茶は「浅蒸し」で「深蒸し」になるほど緑色が濃くなります。
煎 茶(せんちゃ)新茶を摘んですぐに蒸して揉んで作られたお茶です。
深蒸し茶(ふかむしちゃ) 緑色が濃いお茶です。
玉 露(ぎょくろ) 玉露になる茶葉は、収穫の前日光を遮る被覆を施されたお茶です。
かぶせ茶(かぶせちゃ)) 藁や寒冷紗などで茶園を覆って育てた葉でつくります。
抹 茶(まっちゃ)てん茶を茶臼で挽いて微粉末にしたものです。
てん茶(てんちゃ)新芽に覆いをして栽培、蒸した葉を揉まないで作ります。
グリ茶(ぐりちゃ)煎茶の工程から精揉工程を省略して作られたお茶です。
番 茶(ばんちゃ) 日本で飲まれる緑茶 低級品のお茶です。
くき茶(くきちゃ) お茶の若枝、茶葉の柄、新芽の茎を混ぜて作られるお茶です。
焙じ茶(ほうじちゃ) 煎茶や番茶を、茎茶を強火で炒って作った香ばしいお茶です。。
粉茶(こなちゃ) 荒茶から煎茶を作る工程で出た粉状の切れ端を集めたものです。
玄米茶(げんまいちゃ) 緑茶と炒った米を同量ずつ混ぜたものです。
釜炒り茶(かまいりちゃ)新茶を摘んですぐに蒸して揉んで作られたお茶です。
煎茶の入れ方を理解して、お茶を淹れると美味しいです。
お茶は、香りと共に口に含んだ時にまろやかで、コクがあって旨味と甘味が広がります。
この時お茶の美味しさがわかります。
静岡の掛川茶、三重の伊勢茶、鹿児島の知覧茶等、買い求めて味を楽しんでみてはいかがでしょうか。
殆どか機械で茶葉は摘んでいる筈ですが、手摘みのお茶を、販売されていや販売店もあります。
いろいろな産地のお茶を取り寄せて飲むのも良いかと思います。
新茶は旬の味わいが、あってその季節ならではの、美味しさがありますが、個人的には、お茶の中でも玉露より煎茶が大好きです。
現在は煎茶を毎朝楽しんでいます。
お茶の木は、最後の茶の摘み取り(三番茶)が、終わった前年秋から翌年の春までの間に、養分をしっかり蓄えます。
この時期に吹き出す新芽には、栄養分がたくさん含まれています。
新芽を摘み取って、つくられたお茶が一番茶、つまり新茶です。
新茶はその後に摘まれる二番茶、三番茶に比べ、カテキン(渋み)やカフェイン(苦味)が少なく、反対にテアニン(旨味や甘み)が多く含まれており、新茶ならではの爽やかな香りがあります。
これらの成分の特徴を生かした美味しい入れ方を紹介します。
ポイントは、水と温度と抽出時間です。まず水を選びます。
ミネラルウォーターを使用する場合は、軟水を選びます
水道水の場合は3分間、沸騰させて、塩素臭を消してから使用します。
カルシュウムやマグネシュウムを多く含む「硬水」や塩素の多い水はお茶に適していません。
但し水道水でも、沸騰させて塩素を飛ばしさえすれば、味が軟水に劣る事はありません。
カルシュウムやマグネシュウムは、カテキン(渋み成分)やカフェイン(苦味成分)と反応して、味が淡泊になり水色(お茶を入れた時の色の事)が濁り、香りも減少してしまいます。
塩素臭は香りを減少させます。
お湯の温度によってお茶の養分が違います。
次に温度です。カテキンとカフェインは80度以上、テアニンは50度以上の温度で抽出されやすくなります。
渋みと香りを楽しみたい場合は80度のお湯で、旨味を味わいたければ、70度くらいのお湯でいれると、凄く甘味とコクのあるお茶に仕上がります。
お湯の温度によって好みのお茶を楽しむ事ができます
新茶の場合は、煎茶よりも少し多めに茶葉を急須に入れ、適温のお湯で40秒~60秒程時間を置きます。
煎茶(90秒~120秒)のように抽出時間を、長くしてしまうと渋み成分が出過ぎてしまい、新茶の風味を損ねてしまうので、注意したほうが良いと思います。。
2、3回、急須を軽く回し、濃さが均等になるように、人数分の湯飲みに手早く注ぎます。
お茶は最後迄、旨味成分が凝縮されていると言われます。最後の1滴までしっかりと注ぎ入れましょう。
こうして日本の文化、日本茶を味わえる事に日々、感謝しています。
お茶が飲まれるようになった時代と、お茶の起源を調べてみました。
日本が中国の進んだ制度や文化を学び、取り入れようとしていた、奈良.平安時代に、遣唐使や留学僧によって、もたらされたと推定されます。
平安初期(815年)の「日本後記」には、「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が、近江の梵釈寺において茶を煎じ奉った」と記述されています。
これが我が国における日本茶の、喫茶に関する最初の記述と言われています。
お茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級等の、限られた人々だけが口にすることが出来ました。
この頃の茶の製法は、「茶経」にある餅茶であったようです。
現在の日本茶の実質的な起源は、鎌倉時代に宋時代の中国から、臨済宗(禅宗の一派)の開祖である栄西(1141年~1215年)が、二度宋に渡って禅宗を学び、禅院で飲茶が盛んに行われているのを見聞きしました。
帰国後、栄西は日本初の茶の専門書「喫茶養生記」を著し、お茶の効能を説きました。栄西は深酒の癖のある将軍源実朝に、良薬として茶に添えて、本書を献上したと「吾妻鏡」に記されています。
「喫茶養生記」は、製茶法についても記述がありますが、これは宋代に作られていた蒸し製の
散茶であり、碾茶の原型とも言えます。これを粉砕して、お湯を注ぎ、茶筅で泡立てて飲んでいたようです。
華厳宗の僧である明恵上人(1173年~1232年)は、京都栂尾の高山寺に茶を植え、茶を奨励しました。
ここが最古の茶園とされ、栂尾のお茶を「本茶」として他のお茶と区別しました。
鎌倉末期から南北朝にかけては、寺院を中核とした茶園は京都からさらに広がり、伊勢、伊賀、駿河、武蔵でも栽培されるようになったようです。
鎌倉時代には禅宗寺院に喫茶が広がると共に、社交の道具として武士階級にも喫茶が浸透していきました。
南北朝時代には茶を飲み比べ、産地をあてる「闘茶」が行われました。
足利義光(1358年~1408年)は、宇治茶に特別の庇護を与え、これは豊臣秀吉(1537年~1598年)にも受け継がれ、宇治茶のブランドが形成されました。
15世紀後半に村田珠光(1423年~1502年)は、「詫び茶(わびちゃ)」を創出し、これを受け継いだ武野紹鷗(たけのじょうおう1502年~1555年)、千利休(1522年~1591年)によって「茶の湯」が完成し、豪商や武士達に浸透して行きました。
我々が日常的によく飲んでいる「煎茶」は、江戸時代にそれ迄の茶の製法が、劇的に変化して、改良されてできたものと言う事になります。
茶の湯は江戸幕府の儀礼に、正式に取り入れられて武家社会に欠かせないものとなりました。
一方、江戸時代には、一般庶民にも飲料としてのお茶が浸透していた事が記録から伺えます。
庶民に飲まれていたお茶は、抹茶ではなく、簡単な製法で加工した茶葉を煎じた物だったようです。
1738年、宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)は、製茶方法を丁寧な方法を改めて、優良な煎茶の製法を編み出し、煎茶の祖と呼ばれています。
これまでにない緑色の水色と甘味、馥郁とした香りは、江戸市民を驚嘆させたそうです。
宗円が生み出した製法は、「宇治製法」と呼ばれ、18世紀後半以降、全国の茶園に広がり、日本茶の主流となって行きました。
また、より高級な煎茶を開発しようと、碾茶に用いられていた覆下栽培を応用する試みが行われ、1835年山本嘉兵衛(やまもとかへえ)により玉露の製法が生み出されました。
近世になると流通機構がより発達して、茶町と呼ばれる流通の拠点で茶株仲間や茶仲間と呼ばれる人々が、許可制で茶の取引を行うようになります。
その後明治中期迄、花形輸出品として発展して来た日本茶も、インド、セイロン紅茶の台頭で輸出は停滞し、代わりに国内の消費が増え、お茶は国内向け嗜好飲料になりました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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